なにも思わぬは仏の稽古なり   至道無難禅師

Summary

仏教ワード時系列順序 ※未確定

  1. スピリチュアリティの否定
  2. 無常
  3. 縁起説(原因と結果) ※以降も仏教の根本を成す教えであり真理
  4. 欲望を智慧で抑える
  5. 無執着・無所有
  6. 争わない(怒りを持たない)
  7. 涅槃(仏教の最大目的)
  8. 釈迦の教えを入滅後?体系化
  9. 無記(無関係なこと・未知なものについては語らないという考え方)
  10. 中道(どちらにも偏らないものの見方。二律背反のどちらにも肯定・
  11. 否定しない)
  12. 業と輪廻(前世の行為による来世への影響)。涅槃の概念に変化を及ぼす。
  13. 原始仏教末期、煩悩ある涅槃と完全解脱した涅槃の二種になる
  14. 部派仏教 ※入滅後100年~数百年で分裂・成立した部派の総称
    1. 最終的に説一切有部が最大勢力を誇った
    2. 説一切有部は五蘊・十二処・十八界などに論理的整合性を求め、整理した。
    3. ダルマ(法)が不変なものとして実在すると主張したため、後に空思想と対立することとなり大乗仏教から批判される。
  15. 十二縁起と此縁性(後に成立か?ブッダが直接説いたものではないよう)
  16. 四諦と八正道
  17. 三法印・四法印(諸行無常・一切皆苦・諸法無我・涅槃静寂)
    1. 諸行無常=
    2. 一切皆苦=苦だけでなく、楽や不苦不楽なことでも諸行無常によりいづれは消えゆくので苦になる。よってすべてが苦であるという考え。
    3. 諸法無我=
  18. 釈迦入滅100年後余り、原始仏教の分裂と説一切有部の台頭
  19. 大乗仏教の成立
    1. ブッダや菩薩を神格化し、信仰対象とする。
    2. 原始仏教は特定の対象を信仰するよう説いてはいないはずなので矛盾する。
    3. 利他行為する者が偉いという教え
    4. 部派仏教(小乗)と対立(小乗は利他行為に重きを置いていないから)
  20. 六波羅密
    1.  八生道が自己を対象とする教えなのに対し、より利他的な考えの教え
    2. 十二因縁の上位法として施しの考えが生まれる
  21. 空の概念
  22. 般若経(般若心経) 空思想強い
  23. 維摩経(般若経の文学版)
  24. 華厳経と色三界
    1. 色三界とは欲界・色界・無色界の3つの世界。
    2. 輪廻と唯心論(唯識論)
  25. 法華経(初期大乗仏教の代表格) より宗教色強くなる
  26. 阿弥陀
  27. 中観派(信仰色強い大乗仏教の空思想を理論化)
    1. 空と無が本質的に全く違うこと
    2. 虚無ではないこと
    3. 唯物派とも虚無派とも異なり中道を行くことから中観派と呼ばれる
    4. 無分別という考え方。物事を分けて考えない。自と他を分けない?
  28. 四諦ならぬ二諦(真諦・俗諦)
  29. 唯識派(心を基準に考え、それが全てであると説く)
  30. 密教

 

 

年表

アートマン:真我のこと。人?の最深部に存在する認識する部分。不変的かつ永続的なものである。常住する存在といえる。部派仏教でとりわけ探究され、大乗仏教の批判対象にもなった。

 

初期仏教

「存在」と同じような意味合いで用いられていた概念?

般若経

大乗仏教の重要な教えとして空という言葉が頻出した。

ここでの空は、恒常的なものや固定的なものの一切を排除した状態という意味で用いられた?

また、説一切有部などの小乗仏教に対するアンチテーゼ的な意味もあったようだ。

中観派

一切の現象は縁起により実在しているように見えるだけで本質的には実在していないというような意味での空。

スケールアウトやスケールインにより見えなくなる。しかし、この縮尺では見えている。

なので、現象は存在しているともしていないとも言えず、それが空であると説く。

観念論に近しいと思ったが、しかしながら、思考が自存していると考える観念論と自存するものを一切認めない中間派の空思想とは異なる。

この空の理論の大成は、龍樹の『中論』などの著作によって果たされた。 龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの関係性の上に成り立っていることを論証している。この関係性を釈迦は「縁起」として説明しているが、龍樹は説一切有部に対する反論というスタンスを通して、より深く一般化して説き、関係性に相互矛盾や相互否定も含みながらも、相互に依存しあっていることを明らかにした。これを空もしくは「空性」と呼んでいる。

さらに、関係性によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「ユニークな実体」(=自性)はないことを明かしている。これを以て、縁起により全ての存在は無自性であり、それによって空であると論証しているのである。龍樹の空は、これにより「無自性空」とも呼ばれる。

しかし、これらの関連性は、現象面を人間がどのように認識するかということとは無関係のものである。これを人間がどう認識し理解して考えるかについては、直接的に認識するということだけではなく、人間独自の概念化や言語を使用することが考えられる。龍樹は、人間が外界を認識する際に使う「言葉」に関しても、仮に施設したものであるとする。

『大品般若経』の中に以上の内容が含まれているため、龍樹自身がこの経典編纂に携わっていたのではないかという説もある。

『中論』は、勝義諦(真諦)と世俗諦(俗諦)いう2種の真理があるとする二諦説を述べる。前者は直接認識された非相対的な世界であり、後者は言語によって概念的に認識された相対的な世界である。言葉では表現できない釈迦の「さとり」は真諦であり、言葉で表現された釈迦の言葉を集めた経典などは俗諦であるとされる。

さらに、龍樹は「無自性空」から「中」もしくは「中道」もほぼ同義語として扱い、釈迦の中道への回帰を説いている。

 

無分別という考え

良い悪いなどの判断を下さない。良という価値観を持つと、相対的に悪という価値観も持つ。人生一貫して全て良なら問題無いが、現実そうはいかない。

すると諸行について良し悪しを判断するようになり、やがてそこに執着する。執着すると瞋恚(怒り)や貪欲(欲)という煩悩が生じ苦悩する。

以下のプロセスを辿るであろう。

判断や分別することで、背反する逆の価値観が生まれる(良いと判断すると相対的に悪いという価値観が生じる)。二つの両端の価値観を持つことで分別に執着する。分別に執着すると、その執着を起因とする煩悩が生じる。煩悩によって人は苦悩する。苦悩しても分別を続ける。

無分別とは中道のこと、またはそれの発展型なのか?それとも根本的にことなる概念なのか?

 

 

無我

始まりは、最古経典の無執着や無所有という教えに端を発する。この時点では、無我という字の意味とは一致しない。

 

 

四諦

四苦八苦を滅するために釈尊(お釈迦様)が説いた人生の真理。この道理を分かっていない者は凡夫といわれる。

 

  • 四諦 ~苦を克服するための4つの真理~
    • 苦諦 ~苦が有るという真理~
    • 集諦 ~苦には原因があるという真理~
      • 十二縁起 ← 煩悩と苦の生滅プロセス及びその法則(理法)
      • 此縁性(しえんしょう) ← 上記の要約版
    • 滅諦 ~苦を滅するという真理~
    • 道諦 ~苦を滅する道があるという真理~
      • 八正道 ← 具体的な方法
      • 六波羅蜜(ろくはらみつ) ← 八正道の上位メソッド?

苦諦(くたい)

人生はであることを受け入れる(諦る)。

苦に対して、逃避したり曲解したりするのではなく、苦であると素直に向き合うことが重要である。

人生におけるすべてが苦であることを一切皆苦という。この救いようのない言葉の意味は、実は文字通りではない。

ここで苦とは何を指しているかを考える必要がある。

物事とは常に移ろいゆくものであり、恒常的に続くものは何一つないということ、つまり諸行無常であるということを受け入れる。

よって、楽しい事や苦しい事もまた一時の現象に過ぎず、留まるものではないという真理を受け入れる。

物事は変わらず固定的なもの、このように錯覚してしまうと、そこに固執・執着といった負の思考が生まれ、苦へと成長していく。

「人生=苦」という考え方は決してネガティブな発想ではなく、物事を静観する心構えの必要性を説いている。

 

苦諦では苦を四苦八苦という計8つに分類している。

生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦

前4つを四苦といい、全8つで八苦という。合わせて四苦八苦。

生老病死に関する苦は文字通りの意味。愛別離苦は愛する対象と別れる苦、怨憎会苦は嫌うものと出会う苦、求不得苦は求めるものを得られない苦、五蘊盛苦は色・受・想・行・識を起因とする苦、である。

五陰盛苦は中でも自己中心的な苦であると考える。

 

生 → この苦は他のすべての苦を包括する概念ではないか?

五蘊盛苦 → これは「生」の詳細ではなかろうか?

 

 

集諦(じったい)

苦には必ず原因(集起)があることを受け入れる。集起(しゅうき)とは、幾つかの原因が寄せ集まって起こるという意味。

苦の原因となるもの、苦を招き集めるものこそが煩悩である。

苦とその原因たる煩悩の関係を解説したものが十二縁起である。よって十二縁起は別に、煩悩の除去法でも苦の解消法でもない。

 

滅諦(めったい)

 

道諦(どうたい)

此縁性は十二縁起の要約版であると同時に、四諦の要約版でもある。此縁性で示されている個別の法則を実践的に順序立てて整理したものが四諦といえる。

 

 

十二縁起(因縁)

十二縁起(因縁)は、無明(三毒でいう癡)から生じた煩悩や付随する苦が発生するプロセス、因果関係を示した循環図である。原因が無明であることは三毒と同じであるが、三毒が煩悩の大雑把な種類であるのに対して、十二縁起は煩悩による負のサイクルについて説いたものである。

サイクル詳細

無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死→戻る

 

此縁性(しえんしょう) -詳細→ 十二縁起であり、十二縁起 -要約→ 此縁性である。

 

此縁性は、煩悩と苦の関係を単純に示したものである。下記4つの有無生滅の関係のことで、3は十二縁起の順観、4は逆観に対応する。

1.煩悩が有る → 苦が有る

2.煩悩が無い → 苦が無い

3.煩悩が生じる → 苦が生じる

4.煩悩が滅する → 苦が滅する

 

執着(十二縁起の愛)

我執=自己に執着すること

?執着も煩悩に含まれるのではないか?

執着は変化を認めない心だと、どっかの坊さんが書いていたが、そうか?

こだわりを執着心ということもあるが、こだわりは変化を認めないのとは違う気がする。

こだわりはいい意味で使用する方が多い気がする

 

煩悩

人を煩わせ悩ませる元凶となりうる心の汚れ。

 

煩悩はパターン化して執着する。

「車を運転中、前に割り込んで来た車に対して怒り」→「次回、通常の車線変更してきた車に対しても自ずと怒りが湧く」

煩悩は別の新たな煩悩を生み出す。

瞋恚の煩悩が別の瞋恚の煩悩を生み、その瞋恚の煩悩が貪欲の煩悩を生むというような、煩悩生成の連鎖が発生する。

 

煩悩が別の煩悩を生みだすという、プロセスや関係は重要

 

 

三毒

あらゆる煩悩の根源となっているとされる煩悩である。人が生きていくうえで猛毒となりうるため、三毒と言われる。

 

以下の3つの煩悩が三毒であり、人間に一生涯付きまとうであろう業である。

 

貪(貪欲、むさぼり)

 

瞋(瞋恚、怒り)

 

癡(愚癡、迷妄)

 

十二因縁の無明と癡は同意であるが、

 

 

 

六道

輪廻転生するときに巡る世界。

上から、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道となる。また各道は更に細分化されている。

 

 

六境と十二処の関係。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/ff/%E5%9B%B3%E8%A7%A3%EF%BC%88%E4%BA%94%E8%98%8A%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%87%A6%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%95%8C%EF%BC%89.png

 

 

 

煩悩と身体の関係

緑内障

アドレナリン分泌状態時にカフェイン摂取は、状態を悪化させ心臓に負担を掛けるため禁忌である。煙草も同様なようである。

瞋恚の煩悩 → 脳や交感神経から(ノル)アドレナリン分泌 → 毛様体筋の弛緩によって眼房水の排水を阻害し眼圧が高まる → 緑内障へとつながる

交感神経は別名Fight and Flight(闘争及び逃避の神経)とも呼ばれ、いわゆる興奮状態の際に優位になる神経である。戦う際には、敵を補足しピントを遠方に合わせるため、毛様体筋は弛緩して水晶体を薄くする。瞋恚の煩悩を取り除くことで、交感神経の代わりに副交感神経が優位になり、毛様体筋は収縮 → 眼房水の排出が促される。

煩悩は思考や心だけの問題ではなく、身体にも悪い影響を与える。

 

リンク

煩悩について → http://www.k5.dion.ne.jp/~junsei/kouza_yoru01bonnou.html

 

無常リンク

http://www.j-theravada.net/kogi/kogi79.html